8.紅茶 中国茶の講座 中国六大茶

中国茶の中に紅茶が入っていることを奇異に感じる人もいるかも知れません。
紅茶と言えば「英国」が植民地時代にインドで開発し、インドやスリランカのプランテーションで栽培されたものと思われている方も少なくない筈です。
しかし、紅茶はれっきとした中国茶の一つです。
このように紅茶は日本人に誤解されています。

同じようにヨーロッパへのお茶の伝播に付いても誤解が多いのです。
この辺りのことは後段の「お茶の世界史」で述べるとして、ここでは中国のお茶に付いてのみの話としましょう。

紅茶に付いては専門家の間でも二説があるようです。
一つは中国茶がヨーロッパに輸出される前から、紅茶は中国で生産されていたとする説。
もう一つは中国茶のヨーロッパが本格化したときに、より相手方の嗜好に合うものとして生産されていたとする説です。

これは小生の個人的説ですが、英国では紅茶は「紅茶」と言わずに「ブラックティー」と表現されます。
これに対して「ブラックティー」の言葉が出来るまでは、「お茶」を全般的に呼ぶ時に「ボヒー」(武夷の訛ったもの)という言葉が使われていました。
これは英国でお茶の輸入が本格化したとき、主力製品が「武夷」のお茶であったことを示しています。

また当時銘柄が明確なもの、例えば「松羅茶」は「シングロ」、「水平珠茶」は康熙帝に貢茶されていたとのことから、「熙春」との別名をもち「ハイスン」と訛って名が伝わっています。
当時の東洋趣味からすれば、遥かなる憧れの東洋の珍しいお茶を表現する時、なるべく現地の名前をそのまま発音する方がそれらしい感じがするでしょう。

とすれば当時に中国側で「紅茶」という明確な区分があれば、「紅茶」は「レッドティー」と呼ばれた方が自然です。
こんな簡単なことを根拠に、17世紀中葉から18世紀初頭の時代、中国でも明確に「紅茶」という明確な区分は存在しなかったと思っています。

当時の中国貿易は広州の十三の広行(貿易が許されている御用商人)だけが貿易窓口となる管理貿易でしたので、外国人が自由に商品を探すことは出来ませんでした。

そこでより英国人の嗜好に合う濃い風味のお茶が公行により求められ、最後に現在の「紅茶の原型」となる商品に自然に移行したのではないでしょうか。
その後、その「紅茶の原型」が輸出専用として生産量が増えると伴に「紅茶」という分野が独立したのではないか、小生はそう勝手に思っています。

閑話休題
これからのお話は推理小説もどきの仮説ですので、世間で通用するか否かはご自身で判断してください。

英国で喫茶習慣が貴族から一般家庭に浸透したのは18世紀半ば以降でしょう。これを中国でいえば清朝最盛期の乾隆帝の時代です。
乾隆帝の時代に十回の国外遠征がなされ、史上最大の版図を有するようになりました。

現在のシルクロードの一帯もこのとき中国領になりました。
ここで一つのお茶に登場してもらいましょう。
現在も湖北省で造られている紅茶系の磚茶(レンガ状に緊圧したもの)で「紅茶」や「米磚」といわれるるもので、新疆ウイグル自冶区や青海省向けに生産されています。

これらのお茶や、これそのものでなくてもこれらの原型が、乾隆帝の時代に生産されていたとすれば、利に聡い広州の十三行が英国向けの輸出に転用しなかったとは言い切れません。
他のどんなお茶お茶よりよりミルクや砂糖との相性は抜群です。英国人の求めにも合います。
おまけに当時の寒害民族用ですから価格も安かったはずです。
輸出に使用していた「武夷のお茶」や「水平珠茶」に比べれば利益は大きいでしょう。
味の解らない偉人に売りつけるには格好の品物です。
「しめしめ、これで一儲け」と十三行は喜んだでしょう。

「英国人が品質に煩くなれば産地に言って同様の高級品を作らせればよいわい……」ぐらいに考えたかも知れません。
他のどんなお茶よりもこれが後に「工夫紅茶」や「小種紅茶」が生まれる素地になったのではないでしょうか?

なぜなら「工夫紅茶」の「工夫」は「手間隙を掛ける」という意味だからです。
粗製の紅茶から手間隙掛けた高級品が出来上がったとすれば小生自身は計算が合うのですが。

ハイ、本題に戻りましょう
今まで記述した「青茶」は半発酵茶、「緑茶」は無発酵茶でした。ここで述べる「紅茶」は発酵茶です。
よく言われる薀蓄としてヨーロッパに輸出途中の緑茶や青茶が、船倉の湿気と高温で発酵し、英国に着いた時には完全に発酵した紅茶になっていた。
などとまことしやかに語られます。
しかし、こんなことは緑茶の製法を知っていただければあり得ない事です。

もしあったとすればそれは「発酵」ではなく「腐敗」ですし、ついでに言わしてもらえれば、そんなお茶を飲んで英国人が集団食中毒でも起こしてくれて、中国茶を輸入禁止にしてくれれば、以後、英国が対中国貿易の赤字に苦しみ、無理やりアヘンを売りつけ、非人道的な「アヘン戦争」も、それがきっかけで弱体化した中国を狙っての「中国半植民地化時代」もなかったでしょう。

その意味では「紅茶」はアジアの歴史を動かした偉大で悲しいお茶と言えます。でもそれは「紅茶」に罪があるわけでなく、欲しい物はどんな手段を講じても手に入れたがる「人間の欲」が生み出したことです。

中国の紅茶
中国の紅茶は大別すると「工夫紅茶」・「小種紅茶」・「紅碎紅茶」に区分されます。
これらの紅茶に使われる茶樹は雲南・四川・広東・の各省及び広西チワン自冶区などの西南から華南では大葉種、安徽・福建・湖南・湖北の各省では、日本の茶樹と同じ小葉種が栽培されています。

一般的には大葉種は渋みが強く、小葉種は渋みが少なく香りが強いとされています。付け加えるとインドのダージリンやアッサム、スリランカのセイロン紅茶は全て大葉種です。
同様に東南アジア各地の紅茶も大葉種が栽培されています。

工夫紅茶
工夫紅茶の工夫とは日本での意味と異なり、手間や暇を掛けるとか、丁寧や丁重の意味です。
つまり手間を惜しまずに造った高級な紅茶となります。

工夫紅茶は一説によれば19世紀の中ごろ、数々の紅茶の製法を取り入れることで完成したと言われています。
別の説では現在の「宣紅工夫」(湖北省)が最も早く生産された「工夫紅茶」であるとされています。

生産地の宣昌の言い伝えによれば、清朝道光帝の時代に広東の商人が紅茶製法を伝えて、宣昌え紅茶生産が始まったとされています。

世界三大紅茶と言われるのは「ダージリン紅茶」(インド、ヒマラヤ山麓)・「ウバ紅茶」(セイロン、ウバ高地)
・「祁門(キーモン)」安徽省です。
福建省の茶産地 武夷山

春到茶山
福建省武夷山市 鄭友格 撮影


福建省安渓県の茶産地

摘茶歌」
福建省安渓県 孫長青 撮影


四川省の茶産地

四川梧風茶山
四川省峡江県 白建明 撮影


雲南普耳茶 黒茶 プーアル茶

普耳茶郷ラフ族菜茶
雲南省 姜定忠 撮影



広東省の茶産地

春満茶園
広東省興寧 鐘国杉 撮影安徽省黄山

安徽省 黄山
2002年 藤井光江氏 撮影
また「紅茶文化」で名高い英国の王室が日常使う紅茶は、「ダージリン」と「祁門紅茶」をブレンドしたものと言われています。
このように世界的な名声を博している「祁門紅茶」は「工夫紅茶」の一種なのです。
1875年に福建省の館員であった余千臣が、福建の「工夫紅茶」の技術を導入して生産を開始したとの説が有力です。

この説をとると「宣紅工夫」も広東の商人が、それ以前から造られていた福建省の「工夫紅茶」の技術を伝えたのかも知れません。
この「祁門紅茶」は味・香り・色共に優れており、特に香りの高いことが有名です。
現在はブレンド・ティーに使われることが多く、日本での評価や知名度は高くありませんが、国際的評価の高い銘茶です。

中国では「祁門紅茶」のことを一般的に「祁紅」と呼ぶように、他の「工夫紅茶」も地名を冠して呼ばれています。
普耳茶で名高い雲南省の「てん江」(てんは雲南の雅名)、香り高く、インドやスリランカ紅茶に比べて滋味濃厚で、何煎でもよく出ると言われています。

「英紅」は広東省清遠市にある英徳県で生産されている「英徳紅茶」の簡称です。
茶園が開かれたのは1956年と新しいですが、国際評価の高い紅茶です。
ここでは茶の品種として雲南大葉種だけでなく鳳凰水仙種も栽培されています。

また同じ「祁門紅茶」でも、江西省の波陽・楽平両県で造られていたものが、新中国になってから、近くある景徳鎮市が、唐代には有名なお茶の集散地であったことから、その旧名の浮梁を取り「浮紅」と名づけられました。
その他には安徽省の「闌紅」、湖南省の「湘紅」、四川省の「川紅」、貴州省の「黔紅」、蘇州市の「蘇紅」、宣昌市の「宣紅」があります。
もう一つの「寧紅」が寧波市の「寧」なのかどうか、これだけは自身がありません。

小種紅茶
18世紀の英国の有名な茶葉全書の「オール・アバウト・ティー」にも「スーチョン」(小種)として名が挙げられている紅茶です。
福建省崇安県星村鎮の桐木関村が生産の中心で、近辺の邵武県・政和県・建陽県からも少量生産されているが、星村が集散地となっているため、「星村小種」とか「正山小種」の名称で呼ばれている。

また政和県産だけを「政和小種」と呼ばれることもある。
特徴としては製造過程で松ノ木で燻しているため、薫煙香が強く、人によっての好悪が分かれる処です。
これを好む人はこの香りが乾燥棗や乾燥龍眼の香りに感じるようです。
もう一つの特徴は製造過程が青茶から紅茶に移行する過程を留めていることです。
これについては後段の「紅茶の製造l工程」で説明しましょう。 
「小種紅茶」はこの他に同じ福建省の福安県産の「単洋工夫小種」が有名です。

紅碎紅茶
「紅碎紅茶」は別名「分級紅茶」とも言われ、お茶の先進国であった中国が、英国を中心として国際的な取引の際に使われるグレードを取り入れて、国際競争力を高めてたものです。
これは「工夫紅茶」が基礎となり、製品を上位から順に「葉茶」・「碎茶」(細葉)・「片茶」・「末茶」に分けることで、それぞれが「Flowery Orange Pekoe」・「Orange Pekoe」・「Pekoe」・「Broken Pekoe」等に対応するように製造されています。

評価のわりには知名度の薄い中国紅茶が国際的に活躍することは良いことですが、紅茶が便利さを求めてティーパックやブロークンタイプの茶葉ばかりになることは寂しいことです。
「喉の渇きには水を飲め、心の乾きには茶を飲め」との言葉があります。
心に余裕のあるとき、または心に余裕の欲しいときにお茶を求めるのです。
お茶に便利さばかりを求めては、お茶の持つ本来の心を潤す効果まで失ってしまいます。
小生も含めて注意しましょう。

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